公営競技としての競馬
地方競馬・中央競馬はそれぞれ公営競技のひとつであり、刑法の特例として開催が認められている公営ギャンブルという側面をもつ。勝馬投票券(馬券)の発売を伴う競馬は特殊法人である日本中央競馬会 (JRA) 及び地方自治体にのみ開催が認められている。
[編集] 現在の日本競馬が抱える制度上の課題
[編集] 中央競馬と地方競馬の交流
日本の競馬は中央競馬と地方競馬の二つの競馬のシステムが並立しているが、同じ種類の競走を行い、かつ競走馬としても同じ種類のサラブレッドやアングロアラブを使っていることから二つの競馬の間の交流の歴史もある。この事柄ではそのような交流の歴史について説明する。
1972年以前は、中央競馬と地方競馬は同じ種類の競走を行いながら、主催者の違いにより、長年人馬の交流は限られたものであった。基本的には中央競馬所属馬(および騎手・調教師など)は中央競馬の競走のみ、地方競馬は自分が所属している主催者の地方競馬の競走のみに出走していた。他の競馬に出走するためには、現在の所属を離脱して他の競馬へ移籍しなければならなかった。たとえば、1954年の東京優駿優勝馬のゴールデンウエーブは、最初南関東に所属していたが、東京優駿への出走を目指して南関東から中央競馬に移籍をしている。ただし、この時期から既に南関東地区や東海地区など地域的な位置関係から、地方競馬の一部では地区同士の交流が行われていた。
そんな中で、1973年に東京競馬場で地方競馬招待競走が行われ、初めて中央競馬に地方競馬所属馬が出走した。翌年は大井競馬場で中央競馬招待競走が行われ、この2競走は隔年毎に交互に行われていった。
また、騎手のみが交流を行う趣旨の騎手招待競走は、地方競馬では1977年以降各地の競馬場で中央競馬騎手招待競走が行われ、中央競馬でも1978年から1986年にかけて地方競馬騎手招待競走が行われた。
1981年には日本の代表馬と世界の名馬が激突するジャパンカップが創設されたが、その舞台にも地方競馬の代表馬も出走することができるようになったのは第3回(1983年)のダーリンググラス以降である。その後、1985年にはロッキータイガーが2着になった。
1986年に地方競馬招待競走と中央競馬招待競走は廃止され、地方競馬招待競走はオールカマーに、中央競馬招待競走は帝王賞にその役割を移すこととなった。また、中央競馬も地方競馬両方に競走馬を送る生産者の立場の人間が中心となって団体を作り、1989年、ホッカイドウ競馬にブリーダーズゴールドカップを新設し、この競走には中央競馬所属も地方競馬所属も隔てなく出走できるようにした。以降交流競走は年々微増していく。
その後、大きな転機となったのは1995年である。「開放元年」と称し、多くの改正が行われた。
* 多くの中央地方指定交流競走が設けられた。
o 指定競走:中央競馬なら地方競馬所属馬に、地方競馬なら中央競馬所属馬に出走を認める競走、交流競走:地方競馬が他地区所属馬に出走を認める競走。
* 中央競馬のグレードワンレースのトライアルに地区の代表馬の出走枠を設けて、所定の着順までに入ることでグレードワンレースの出走できる道筋を造った。
o その年に笠松のライデンリーダーが4歳牝馬特別を制し、牝馬三冠競走に全てに出走し、話題を作った。
o また、初年度という事もあり地方競馬側の準備は整いきっていなかったが、それでもライデンリーダーの他、足利のハシノタイユウ(皐月賞)、笠松のベッスルキング(菊花賞)がトライアルで上位入着しGIに出走している。
* 東京大賞典などの地方競馬の大レースと呼ばれる競走に中央馬の出走枠を設けた[1]
o 1995年にライブリマウントが各地の地方競馬場で強さを見せつけた。またこの年のエンプレス杯でホクトベガが18馬身の圧勝劇を演じたのは川崎競馬場であった。このように多くの競走で中央競馬所属馬と地方競馬所属馬の対戦が行われるようになった。
* 地方競馬の2歳馬戦に認定競走制度を導入し、この認定競走に勝利した競走馬に対しては中央競馬の特別指定競走へ地方競馬に所属したまま出走できる資格を与え、また中央競馬への移籍に対しては、従来の馬房数とは別に、認定馬房による移籍を認めた。
* 地方競馬と中央競馬の条件級競走馬による中央指定競走も1994年より行われる。
1997年4月からは中央地方に関係の無い統一グレード制を導入することとなり、ダートグレード競走が始まった。
1999年、地方競馬場の水沢競馬の生え抜きの地元最強馬であったメイセイオペラが東京競馬場でのフェブラリーステークスで地方所属馬初の中央競馬GI勝利を果たした。
2000年、中央競馬のGI競走を優勝した地方所属競走馬の、中央競馬古馬GI競走への出走申し込みが可能となった。
2001年からダート競馬の祭典としてJBC(ジャパン・ブリーディング・ファームズカップ)が新設された。第1回は大井で開催された。
2004年、コスモバルクがホッカイドウ競馬所属のままでクラシック三冠・ジャパンカップ・有馬記念に出走。惜しくも勝ち星は挙げられなかったが、地方の星として脚光を浴びる存在となった。
2007年、地方におけるダートグレード競走のGI競走、および日本国外におけるG1競走を優勝した地方所属競走馬の、中央競馬古馬GI競走への出走申し込みが可能となった。
以上は主に競走馬においての歴史であるが、騎手・調教師などにおいては依然として移籍の敷居は高く(これは地方競馬間でも同様である)、地方競馬出身で中央に移籍した騎手も数人であり、調教師はゼロである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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